あの日のこと

一年前のことの日記です。

 

 

2018年3月29日。夕方。

ツイッターでとあるDMがきた。

三日前にスカイプでだべってたエルさんからだった。

だけどその日は少し様子が違った。

エルさんのアカウントではあるが、エルさん本人ではなかった。

エルさんが変なスパムでも踏んだんかなって思ったら違った。

エルさんの親族からだった。

私はその内容を確認した。

もう一度内容を確認した。

さらにもう一度内容を確認した。

ついでに今日がエイプリルフールではないことも確認した。

 

信じたくない事ほど、確認というのは何度もしてしまいがちである。

 

私はしばらく唖然としながら布団に横たわった。

 

 

訃報だった。

 

 

 

27日に亡くなったとのことだった。ということは、スカイプで夜に話をしていた翌日である。

エルさんは同人関係のことをほとんど家族には伝えておらず、同人関係の交友関係で知っていた人は私くらいしかいなかったらしい。

というのも、私がエルさんと知り合う前から、エルさんの義弟の群咲たくみさんと私が知り合いだった事が大きい。(何の因果か、群咲さんはボカロPで、私がはじめてボカロのコラボでPVのお手伝いした方である。)

エルさんのご家族からエルさんの写真がないかと尋ねられた。大人になってからの写真があまりないという。確かにそういう写真というのは案外ないものである。

私は二年ほど前に名古屋のイベントの打ち上げで、ねじ式さんが集合写真を撮ってくれたことを思い出し、その写真をお渡しした。

その写真は遺影になった。エルさんは笑っていた。

 

ご家族からエルさんが関わっているイベントがあれば教えてほしいと尋ねられた。エルさんが何らかのイベント運営に関わっていることはご家族も察しており、それに支障をきたすことをとても心配されているようだった。

直近で行われる声月4の運営の大部分や、ウナオンリーがエルさんによって行われている旨を本人からよく聞いていたので、その旨を伝えた。

 

私は訃報を聞いたその日、夜、普段からエルさんと同じくよく通話をしている声月運営の半月さんにエルさんの件を話した。

私は通夜への参列をしてもよいかエルさんのご家族に尋ねると、私、半月夫妻共々快く参列を承諾してくださった。本当にありがたかった。

 

通夜はその日の翌日だった。家族葬で行われる予定で、会場スペースの都合上19時以降に行く事になった。

29日の深夜、「ここ数日、エルさんの霊圧を感じないんだが…。」という、とうふさんのツイートが胸に刺さった。

翌日、私は通夜に向かう電車の中で、とうふさんにもエルさんの件についてDMした。

 

通夜会場に到着した。

エルさんのご家族に挨拶をした。

そして群咲さんが出迎えてくれた。私がボカロ創作界隈に入って間もない頃にPVを作らせていただいたのはもう6年前であるが、リアルで会うのは初めてだった。

このような形でお会いすることになったのは残念だったが、エルさんが繋げてくれたご縁と思うより他ない。

 

通夜会場の中に入った。棺があった。遺影もあった。祭壇もあった。

棺の中にはエルさんがいた。マジでいた。

祭壇には、エルさんの作った同人誌や、ゆかりさんのフィギュア、ウナちゃんのぬいぐるみ等が並べられていた。

いつもとは違いすぎる境遇で並べられるそれらに不思議な感覚を覚えざるを得なかった。

 

 

通夜が行われた会場は、若い人が亡くなると別れを惜しんで夜遅くまで参列者が訪れることが多い為か、夜通し開いてるとのことだったので、ご家族に確認の上、仕事終わりのとうふさんも来てくれることになった。

 

ご家族は同人界隈でのエルさんのことについて知りたがっていたので、同人関係の参列者である私、半月さん、yokuさん、とうふさんの4人で同人界隈でのいわゆる“エルさん”としてのエルさんのことについてエルさんのご家族と話をした。

エルさんのご家族は逆にエルさんの同人以外のエルさんについて教えてくれた。

さいごの別れを惜しむ故、気が付けば日付が変わっていた。私もとうふさんも終電を余裕で逃した。

名残は惜しさは尽きないながらも、エルさんにこれまでの感謝の念と共に最後の挨拶を告げ私は会場を後にした。

 

半月夫妻は車で来ていたので私も車で最寄まで送ってもらえることになり助かった。

帰りの車の中でも、非現実的な感覚が離れなかった。

変な夢を見ているような気分だった。

 

 

 

人はいつ死ぬかわからない。そんなことはごまんと承知している。

それでも尚、「早過ぎる・・・」という念を抱かざるを得ない。。。

 

 

合掌。